個展のタイトルとサブタイトルに込めた想い

「LULLABY」に込めた想い

「LULLABY」は、直訳すると「子守唄」という意味です。

私が風景に込めているのは、何よりも自分自身の感情です。
その場その瞬間に心の中に芽生えたさまざまな想いを否定することなく、そっと寄り添うように撮影しています。

今回の展示には、そんな私らしさが色濃く表れている作品ばかりを選びました。

私が作品を通して感じていただきたいのは、「きれい」「美しい」といった表面的な印象ではなく、
“どこか懐かしさを感じる”ような感情や、“自分自身の記憶と自然に重なるような体験”です。

たとえば、
「あのときに見た風景に似ている」
「もう会えない愛犬と一緒に見た日の出を思い出した」
といったように、私の写真の中の世界ではなく、見る方ご自身の記憶や体験と結びつくような感覚を持っていただけたら嬉しいです。

また、現代の慌ただしい日常の中で、ほんの少しでも心を静かに解きほぐすような、
展示空間そのものが癒しになるようにという願いを込めて、「LULLABY(子守唄)」というタイトルをつけました。

私にとって自然風景は、決して大きな声で何かを主張する存在ではありません。
どんな時でも、どこにいても、
「ここにいるよ」と優しく、声のない音で語りかけてくれる――

まるでそっと歌うように。そして静かに奏でるように。

そんな展示空間を目指しました。

「欠けている場所に満ちるもの」に込めた想い

何か一つうまくいかないことがあるからといって、そのすべてがダメなわけではありません。
また、ほんの少し人と違っているからといって、その人自身が劣っているわけでもありません。

むしろ、人と違っているからこそ、そこにしかない特別な何かが宿ると私は感じています。

私は、生まれつき比較的まれな心臓の病気を抱えており、子どもの頃から様々な制約の中で学生生活を送ってきました。
だからこそ、「みんなと同じように過ごせること」がどれほど幸せなことか、強く実感しています。

でも、私と同じように、何かしらの悩みや病気を抱えている人はたくさんいます。
そうした人たちに伝えたいのです。
たとえ人と少し違っていても、それは決して「悪いこと」ではなく、むしろ人とは違う何かで心が満たされているのだと。

この想いは、風景にも通じています。
「花が咲いていないから」「枯れているから」といって、その情景が価値のないもの、汚れたものになるわけではありません。

咲いていないからこそ見えてくる景色があり、
枯れているからこそ、そこに色づいた葉の美しさが際立つこともあるのです。

そうした想いを込めて、今回の個展には
「欠けている場所に満ちるもの」というサブタイトルをつけました。